2025.09.03
「人手不足」
この言葉は、もはや医療業界において決まり文句のように語られています。
医療従事者自体の推移は上がっているのですが、現場の時間は「足りている」どころか「人手が追い付かない」という声が圧倒的に多い状態です。
特に地方の中小規模病院では、採用に応募が来ない、せっかく採用しても数年以内に退職してしまう、といった問題が日常的に起こっています。
人材紹介会社の担当者からも「以前は紹介できた職種でも、候補者を見つけるのが難しくなってきている」と聞かれるようになりました。
いまや医療機関にとっての採用は、待っていても人が来る時代ではありません。
まさに完全な売り手市場――すなわち、医療従事者側が自由に職場を選べる状況に突入しているのです。
このような環境下で、どのように医療機関が生き残っていけるのか。
今回の連載では、全3回で、医療業界の人材不足とその解決のための取組みについてまとめていきたいと思います。
さて、前説でもお話ししましたが、なぜここまで人材不足が深刻化しているのでしょうか。背景には複数の要因が複雑に絡み合っています。
第一に挙げられるのは、人口構造の変化です。
高齢化の進展により医療ニーズは増加し続けています。
入院・外来ともに高齢者が中心であり、慢性疾患や複数の病気を抱える患者が増えることで、診療に必要な人手はさらに膨らみます。
ですが、若年層人口の減少により医療従事者の供給は追いついていません。
第二に、診療科と地域の偏在があります。
都市部の基幹病院には人材が集まる一方で、地方や離島の病院では医師の確保が非常に難しい状況です。
例えば、全国的に人気の低い産科や小児科では医師不足が顕著で、夜間救急を断らざるを得ない地域も出ています。
第三に、働き方改革の影響も無視できません。
医師の時間外労働規制が2024年から本格的に適用され、看護師も夜勤回数の制限が進んでいます。
これは現場にとって歓迎すべき変化ですが、その変化を受け入れつつもこれまでと同じ診療体制を維持するためには、より多くの人員を確保しなければなりません。
第四に、女性のキャリア継続の難しさがあります。
医療職の多くは女性比率が高いですが、結婚・出産・育児といったライフイベントによって離職や長期休職が起こりやすいのも現実です。
復職支援制度が整っていない病院もまだ多く、結果として優秀な人材が業界から流出してしまうケースもあります。
こうした背景を踏まえると、医療業界における「売り手市場」は、単に「人が足りない」という問題に留まりません。
より本質的なのは、医療従事者が職場を選べる時代になったということです。
現在では、転職サイトや人材紹介サービスを通じて、全国どこにいても数多くの求人情報を比較検討できます。
SNSを通じてリアルな職場の評判も共有されるようになり、医療従事者は条件の良い職場を主体的に選び取ることができます。
実際に、ある医療従事者の声を聞くと、「給料が多少良くても、人間関係が悪ければ辞めます。今はすぐに次の求人を探せますから」と率直に語っていました。
このように、職場にしがみつく必要がない社会環境が整ったことが、売り手市場の背景にあるのだとわかります。
売り手市場の進行は、医療機関にさまざまな影響を及ぼしています。
第一に、採用コストの増大です。
医師の採用では人材紹介会社に数百万円単位の成功報酬を支払うことも珍しくなく、看護師や薬剤師でも一人あたり数十万円が発生します。
求人広告や採用イベントの出展なども加えれば、採用にかけるコストは年々膨らんでいます。
第二に、離職の加速による悪循環です。
せっかく高いコストをかけて採用しても、職場環境が整っていなければすぐに辞めてしまいます。
人が減れば残ったスタッフの業務負担が増し、さらに離職を呼び込む負のスパイラルに陥りかねません。
第三に、地域医療への影響です。
救急患者を受け入れられない、手術件数を減らさざるを得ないといった事態が発生すれば、地域住民の信頼は揺らぎます。
結果として患者数が減少し、経営基盤そのものが危うくなるケースもあります。
このように、売り手市場は避けられない現実です。
しかし、視点を変えればチャンスでもあります。
「選ばれる医療機関」になることができれば、安定的に人材を確保し、定着させることができるからです。
では、「選ばれる」とは何を意味するのでしょうか。
給与や福利厚生、働きやすさ、教育・キャリア支援、心理的安全性といった要素です。
若手世代ほどワークライフバランスを重視する傾向が強く、「長く働ける安心感」が職場選びの重要な基準になっています。
ある中規模病院では、院内保育の拡充や柔軟なシフト制度を導入したところ、看護師の離職率が大幅に低下しました。
別の病院ではキャリアアップ研修に積極的に投資し、「成長できる環境」として評判を得た結果、求人募集を出すと応募が集まるようになったといいます。
つまり、人材不足という逆風の中でも、組織づくりの工夫によって「人が集まり、定着する病院」に変わることは可能なのです。
医療業界における「売り手市場」とは、単なる人材不足ではなく、人材が職場を自由に選ぶ時代の到来を意味します。
採用コストの増大、離職による悪循環、地域医療の疲弊――こうした課題はすでに現実のものとなっています。
しかし、裏を返せば「選ばれる組織」になった医療機関には、安定的に人材が集まり、長く働き、共に成長していく可能性があります。
売り手市場を勝ち抜くためには、給与や待遇だけでなく、働きやすさやキャリア支援といった多面的な魅力を備えた職場づくりが不可欠です。
次回は、今回整理したこの厳しい環境の中で生き残ることのできる医療機関の条件とは何か、具体的に掘り下げていきたいと思います。
また次回もお会いいたしましょう。
日本医療労働環境改善協会(JMWEIA)
岡田 詩穂